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阪神淡路大震災を忘れない

阪神・淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分に発生し、マグニチュード7.2の地震は深さ16㎞と浅いところで発生、最大震度は7でした。松山でも震度3を記録し、その揺れで目覚めた事を今も忘れられません。我が国において社会経済的な機能が高度に集積する都市部を直撃した初めての直下型地震は行政機能を破壊しライフラインは寸断させ、亡くなられた方は6,432人、戦後最大の被害でした。その後、倒れた高速道路、至る所で火災が発生するなど、次々と目に入る衝撃的な現地の映像に驚愕しました。
当時、上司から「松山青年会議所のメンバーで支援に向かう。救援用品をピックアップしてくれ!」と連絡が入り、私は会社にあったテントなどのキャンプ用品(アウトドア用品販売部門があった)や食料、飲料水をトラックに詰め込みました。「役に立ってくれ」とその車を見送った事を今でも鮮明に記憶しています。
友人でフリーカメラマンだった永山竜叶氏(彼はこの年の6月、不慮の事故により他界した。)は、西宮の自宅でこの震災に遭い、すぐさまオフロードバイクに乗って現地へ向かったのでした。消防車や救急車などはとうてい進む事はできない。バイクだから誰よりも早く現地の惨状をレポートできたのです。この時の写真は雑誌「FRIDAY」に掲載され、地震の恐ろしさを多くの人に伝えました。この書籍は今も神戸大学付属図書館の震災文庫に保管されているようです。
それから16年後に日本は東日本大震災という未曽有の災害に直面し、そして3月に10年が経とうとしています。直下型地震と津波による災害。異なる災害は救助や避難所支援も違ってきます。仲間たちと直ぐに東北へ向かうと決めた時に、阪神・淡路大震災の教訓が我々の行動に時間を与えたのも教訓です。南海トラフ大地震は、その両方の被災が予想されます。新型コロナウイルスと戦っている今、何を考えなければならないのかと心が騒いでいけませんが、当時小学4年生だった子供たちが成長し、石巻市で成人式が行われた報道を見て心が和みました。