· 

あの日から8年

 8年前の3月11日、あの日はちょうど家にいてニュース速報に驚き、津波に逃げ惑う車の映像に現実ではないと思いました。そして、この時代に生きるものにとって忘れられない日となってしまいました。

 

 私達は仲間と共に、大量の支援物資をトラックなど3台の車両に積み込み1200kmの道のりを北へと向かい、宮城県庁から指示を受けた先は石巻商業高校。目に入るのは基礎部分だけ残った住宅地がまるで田んぼのような光景と、上空を飛び交う自衛隊の救助ヘリ、連なって走る救急車でした。

 

 石巻商業高校の冷たい体育館には出島から救助された400名の皆さんが避難されていて、すぐさま、温かい味噌汁を作ると、「避難してから初めての温かい食べ物だ」と喜んでくれました。それから毎日、朝と夜の食事の提供と昼はカレーを作り女川原発の避難所や女川町の避難所へデリバリー。多くの仲間達と交代で40日間、石巻と女川で支援活動を続けました。

 

 食器を洗う手が凍てつき、私達の寝る場所の玄関前のテントの中では皆シュラフを二重にしても寒く、銀シートまで巻いて仮眠をとるのですが、頻繁に発生する震度5強クラスの余震に脅える日々でした。

 

 8年が過ぎた今日、仲間の代表は石巻と女川を訪ねています。是非にと出席した避難所で行われた小学校の卒業式。4人の卒業生は、今年、成人式を迎えた事になります。お元気なのでしょうか。

 

 この支援活動の経験は、私にとって強い意思へと変わりました。そこには強いコミニュティがあったからです。誠に強い地域には災害に立ち向かう強い力がありました。地域を強靭化する事が今、求められています。

 

 強い地域は災害に強く、目配りの行き届いた子育てにも優れた環境になります。